一年

ここ数日は一年前のことばかりテレビで流れてますね。

あの日は私は妊婦健診を終えて病院から自宅に帰り、母と娘と一緒にドーナツを食べてました。すると突然外で、聞いたことのない鐘の音が鳴り響きました。それは今では耳馴染みの「これから地震が来ますよ」を知らせるあの音。埼玉に住んでたから、震源地から距離があったから、鳴ったんでしょうね。でも当時は知るはずもなく、なんだろうねぇと窓の外を見てました。


間もなく来た地震は徐々に揺れを大きくし、さすがに身の危険を感じて机の下にもぐりました。隣には冷蔵庫、食器棚がありましたが、地震対策のつっかえ棒をしていたためかほぼ揺れてません。つっかえ棒などに計4万円以上をつぎ込んでだ私を「地震マニア」と笑った旦那に、ほら見ろと内心思いつつ、どうかつっかえ棒頑張ってくれと念じてしまうほどの揺れ。初めてでした。


揺れが収まると、建物にとどまる危険を考え外に出ようと思いましたが、ふとつけたテレビにくぎ付けになってしまいました。津波の映像です。あぁ人が、車が飲み込まれる、という瞬間に画面が切り替わり違う角度からの映像になりました。それでも終わらず流れゆく津波の映像。ただ、余震も続いていたし、近所の方々が外に出ているのがわかったので、「寒いから中にいたい」としぶる母も強引に建物の外に連れ出しました。外では顔なじみの方々もいて、少し心が和みました。余震は相変わらず続き、そのたびに駐車中の車がガタガタ揺れます。タイヤが浮いているんじゃないかと思うぐらい。この地震はただ事ではないと感じ続けてました。


ある程度余震の揺れの大きさが小さくなってきた頃、母が「何か食べ物と、おむつを買ってこよう」と言いました。娘のおむつがあと10枚も残っていなかったからです。今思えば、この母の判断は正しかったです。近くのダ○エーに行ったそうで、「他のお店は閉めてしまっていたけど、ダイ○ーだけは店内は危険だからと店員さんがおむつをわざわざ取りに行って売ってくれたの。だから買うことができた」と教えてくれました。今思えば、店内は危険だからと客を外に出して、買い物どころか寒さをしのぐ場所さえ提供してなかったショッピングモールや駅ビルやお店がほとんどだった当時の状況で、これは神対応でした。助かった!


その日の夜から数日は、異常な状態でした。深夜にも関わらず、外ではあの鐘の音が鳴り響くこと少なからず。私はつわり中でもあり、そのせいか、あのころを振り返ると、なんか気持ち悪い日々だったなぁと思い出します。