ログイン記念

二年以上ぶりにこのブログにログインしました。自分のなのに緊張した。大したこと書いてないのに日記は消したくなる、存在ごと。でも、今となっては、就職の活動してたころの日記を残しておいても面白かったなぁと後悔してるので、せめて、今残っているのは残してみようと思います。50代頃にでも読み返してみるよ!

家族構成も固まりました。布巾は毎朝塩素漂白剤に数分つけてからゆすいで手で絞って干しています。生乾きの臭いと縁がなくなったので、良いです。

一年

ここ数日は一年前のことばかりテレビで流れてますね。

あの日は私は妊婦健診を終えて病院から自宅に帰り、母と娘と一緒にドーナツを食べてました。すると突然外で、聞いたことのない鐘の音が鳴り響きました。それは今では耳馴染みの「これから地震が来ますよ」を知らせるあの音。埼玉に住んでたから、震源地から距離があったから、鳴ったんでしょうね。でも当時は知るはずもなく、なんだろうねぇと窓の外を見てました。


間もなく来た地震は徐々に揺れを大きくし、さすがに身の危険を感じて机の下にもぐりました。隣には冷蔵庫、食器棚がありましたが、地震対策のつっかえ棒をしていたためかほぼ揺れてません。つっかえ棒などに計4万円以上をつぎ込んでだ私を「地震マニア」と笑った旦那に、ほら見ろと内心思いつつ、どうかつっかえ棒頑張ってくれと念じてしまうほどの揺れ。初めてでした。


揺れが収まると、建物にとどまる危険を考え外に出ようと思いましたが、ふとつけたテレビにくぎ付けになってしまいました。津波の映像です。あぁ人が、車が飲み込まれる、という瞬間に画面が切り替わり違う角度からの映像になりました。それでも終わらず流れゆく津波の映像。ただ、余震も続いていたし、近所の方々が外に出ているのがわかったので、「寒いから中にいたい」としぶる母も強引に建物の外に連れ出しました。外では顔なじみの方々もいて、少し心が和みました。余震は相変わらず続き、そのたびに駐車中の車がガタガタ揺れます。タイヤが浮いているんじゃないかと思うぐらい。この地震はただ事ではないと感じ続けてました。


ある程度余震の揺れの大きさが小さくなってきた頃、母が「何か食べ物と、おむつを買ってこよう」と言いました。娘のおむつがあと10枚も残っていなかったからです。今思えば、この母の判断は正しかったです。近くのダ○エーに行ったそうで、「他のお店は閉めてしまっていたけど、ダイ○ーだけは店内は危険だからと店員さんがおむつをわざわざ取りに行って売ってくれたの。だから買うことができた」と教えてくれました。今思えば、店内は危険だからと客を外に出して、買い物どころか寒さをしのぐ場所さえ提供してなかったショッピングモールや駅ビルやお店がほとんどだった当時の状況で、これは神対応でした。助かった!


その日の夜から数日は、異常な状態でした。深夜にも関わらず、外ではあの鐘の音が鳴り響くこと少なからず。私はつわり中でもあり、そのせいか、あのころを振り返ると、なんか気持ち悪い日々だったなぁと思い出します。

年明けから、疲れる日々でした。以下愚痴だから、読んでもいいよという人だけ読んでね。


主人は仕事上でスランプに陥り、仕事にまともにいけない日々が数週間続きました。ゆっくり休んでと言いたいところだけど、生活がかかっているし、でもここで頑張れと煽ることも本人の気持ちを考えると出来ず、結局、それは辛いね休んでいいんだよ、と言いました。でもやっぱり生活を考えるとこちらはいてもたってもいられないし、そんなもやもやにとても疲れました。もう一つは自分の両親の不仲だね!パパとうまくいってないんだ〜なんて愚痴を母から聞いて、そんなのどこ吹く風とひょうひょうと生きていられるほど、縁が切れているわけではない。総合的に、将来への漠然とした不安?そんなのに包まれてる年明けから今です。



こうゆうときは一体どうしたらよいんだろうね?とりあえず、経済的な不安なら経済的に対処すればいいので、下の子が幼稚園に行く3年後から働くよ。すぐ働くと、たぶん、精神的なゆとりがなくなって現状に耐えられなくなり、もろもろ悪化しそう。そして主人には、会社員なんだから会社に行けと言いました。トップを目指す必要はないから(トップを目指したからスランプに陥った)、クビにはならない程度には最低働いて、と。私は、少しでも高収入アンド好条件な仕事につけるよう、今出来ることをやることにしました。資格の勉強。実際勉強してみると、勉強が私の精神安定剤になってくれてます。勉強しているときが一番精神的に楽。前に進んでいる感がきっといいんだね。


箱の中で育てられた系だから、まぁいろいろ甘いところがあるんだろうね。若いうちに苦労は買ってでもしとけ、ってことで、まぁいつかこんな日々が懐かしくいとおしく思い出される日々が来ますように。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがします。


出産、そしてその後の3時間おきの授乳のため長くパソコンから離れてました。そうそう、遅くなりましたが、無事に出産しました!元気な女の子です。


今年もいろいろありそうですが、どうか、平穏な一年になりますように。

マイナートラブル

妊娠中や出産の話になると、経験者の方は各々語るものがあると思います。私もそうですが、前回は痔に、今回は静脈瘤に悩まされてます。太ももの裏に、静脈の青い血管がもこっと盛り上がって出て、痛みを伴っているのが私の症状です。出産後に消えればいいなぁ。・・・消えるよね??

2歳の娘に片付けをさせたい、その2

リビングに用意したのは、無印良品の「柔らかい 掃除用品収納ボックス」を2つ。色は半透明なため、ごちゃごちゃをできるだけ隠したい私の意向と、中に何が入っているかわかりやすい方がいいだろう娘の気持ちの両方を満たしてくれます。また、自立型でしっかりしており倒れにくいため、安全性もOK。そして娘が持てる大きさ且つ持ち手つき。それら3つが購入のポイントでした。



しかし、数日でおもちゃはボックスから溢れる。ボックス内は混沌。



そこで、ボックスを3つにしました。また、お道具箱も別途用意。そして、それらに絵と文字を貼りつけました。「おもちゃ」「絵本」「お絵かき」「道具入れ」。娘には片付けの度に、おもちゃは「おもちゃ」のボックスへ、お絵かき帳や折り紙は「お絵かき」のボックスへ、などと根気強く言って誘導します。3日目ぐらいからはたまに間違うことはあるものの、自分で分別収納できるようになりました。


しかし、またもや数日でおもちゃがボックスから溢れる。移り気な2歳児は、つぎつぎとおもちゃを、2階の自分の部屋から1階のリビングへ持っておりてくるんです!



まぁでも、この年齢の子は遊ぶのが仕事なんだろうなと思っているので、それは容認。はてさて今度はどうしようと悩んでいたところ、娘は自分で、私が多用途で使っていたカゴに、溢れたおもちゃを入れてました。この行動は、「お弁当箱におもちゃのお野菜を詰めるのが楽しい」と同次元のことで、「カゴにおもちゃを詰めて運ぶのが楽しい」との気持ちから出た行動です。お片付けをしてるわけじゃありません。しかし、私としては、結果オーライ。しばらくはこのまま様子みます。ちなみに、片付けのタイミングとしては、夜の寝る前に片付けをするようにしています。

2歳の娘に片付けさせたい

もう毎日、部屋が散らかること散らかること!リビングの床はクレヨンとブロックで埋め尽くされるわ、玄関にはバッグを置きっぱなしだわ、廊下にはお人形用のベビーカーとぬいぐるみがあるわ、寝室の布団をめくればクレヨンが落ちてたりおままごとの野菜があるわ、もういや。でもまだ2歳だから〜と諦める気はありません。今、習慣づけないと、将来主人みたいになってしまう!!!



今日は、体温計の中身が見当たりません。体温計の入れ物はあるのですが。なぜ熱を測ったあと入れ物に戻さない〜?先日はゴキブリを殺虫剤で殺したあと、主人はそのまま立ち去りました。なぜ死骸を室内に放置したままにする〜??もちろん、よくある話ですが、飲み物は飲んだら飲みっぱなし、ティッシュで鼻をかんだらティシュはそこに放置。


きっと主人は、「片付ける習慣」がないのでしょう。「元の位置に戻す習慣」とも言えます。主人は他にいいところがたくさんあるし、尊敬できるところもあるので、私は主人に関しては目をつぶってます。(一時的にイライラしますが)しかし、娘は話は別。娘にはきっちり習慣づけさせなければならないことです。まだおむつもはずれてませんが、おむつはそのうちはずれるでしょう。むしろ、片付けの習慣づけのほうが意識的に取り組まないと、身に付かない気がする。


どうしたらいいのか。私はよく怒ってしまうんです。「片付けなさい」って。でもまだ2歳。片付けって何?どうやってするの?のレベルですよね・・・わかってはいるんですが・・・怒ったあとに自己嫌悪。そこでまずは、片付けしやすい環境づくりをします!具体的にはまた今度。